山田裕貴はプロ野球選手を目指していた!父・山田和利とのエピソードとは?

山田裕貴さんと言えば、2017年「おんな城主 直虎」で大河ドラマ初出演を果たしましたが、「東京リベンジャーズ」のドラケン役などでもその幅広い役柄や演技から「カメレオン俳優」と呼ばれるようになり、一躍人気が急上昇しましたね!

そんな山田裕貴さんですが、学生の頃はプロ野球選手を目指していたとのこと。
その経緯として、山田裕貴さんの父親が元プロ野球選手の山田和利さんだったことがわかりました。
山田裕貴さんがプロ野球選手を目指したきっかけや、気になる父・山田和利さんとの関係、そして感動するエピソードも紹介していきますね!

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山田裕貴はプロ野球選手を目指していた!

山田裕貴、原作ファンも「群を抜いてる」と称賛! 映画『東京リベンジャーズ』で「ゴリ押し」「親のコネ」批判をはねのけた!?(2021/07/14  15:42)|サイゾーウーマン

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最近では「東京リベンジャーズ」のドラケン役が型にはまった俳優・山田裕貴さん。
そのルックスからもイケメンで人気がありますよね。

そんな山田裕貴さんですが、実は幼い頃から野球をしていてプロ野球選手を目指していたそうです。

あきおさんあきおさん

ちなみに筆者も野球経験者ですが、ちょうど昭和と平成の中間くらいに生まれた世代にとっては1991年にJリーグも発足したこともあり、「サッカー」か「野球」か論争が学校内で起きていた記憶があります。
地元に強いプロ野球のチームやサッカーチームなどがあれば、ジュニアのチームなどもあり、必然的にそのスポーツをする感じになりますよね。
親の影響や兄弟、友達の影響で始める人も多く、サッカーにおいては、Jリーグ発足当時は、親世代がサッカー経験者がほぼいなく、親が教えれないことだったり、細かいルールがわからないといったことがありましたね。

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山田裕貴さんの地元は愛知県名古屋市なので、プロ野球の球団とすれば1936年に「中日ドラゴンズ」、サッカーチームは1991年に「名古屋グランパス」が創設されています。

山田裕貴さんはちょうど1990年生まれなので、Jリーグ発足直前に生まれたことになりますね。
名古屋は、やはり長年の中日ドラゴンズの影響が強いのか、野球人口の方が多いようですね。

そんな環境で育った山田裕貴さんですが、小学校3年生から中学3年生まで、地元の硬式野球の強豪チームに所属していたそうです。

小学校時代は地元の名古屋市内のリトルリーグに所属し、全国大会にも出場した経緯があります。
中学は地元の公立高校の若水中学校に進学しますが、学校の部活には所属せず、
名古屋市内のシニアリーグの名門「名古屋北シニア」に在籍していたそうです。

名古屋北リトルシニア 選手紹介 |

出典元:名古屋北リトルシニア協会

ちなみに「名古屋北シニア」出身のプロ野球選手として…

  • 堂上剛裕(堂上兄弟の兄、元中日ドラゴンズ、元巨人所属)
  • 堂上直倫(堂上兄弟の弟、現:中日ドラゴンズ所属)
  • 堂林翔太(国際大会で名古屋北シニアの補強選手として出場、現:広島東洋カープ所属)

など、小学校同様、全国大会常連の強豪チームで実力はお墨付きのチームだったそうです。

ちなみに山田裕貴さんのポジションはピッチャーだったそうですが、名古屋北シニアではレギュラーにはなれなかったそうです。
また、足は早かったそうで、代走で出場することもあったそうですが、細身のため非力でバッティングに難があり、そういったことがレギュラーになれなかった理由だそうです。

強豪チームに所属しているとなると例えレギュラーになれなくても実力は上位の方。
厳しい環境でも、それに耐えて精神力などは鍛えられ、今の山田裕貴さんの演技力にもつながっていたのかもしれませんね。

そんな山田裕貴さんですが、小学、中学と強豪チームに所属し、当然のようにプロ野球選手を目指していたそうですが、高校進学時に野球を辞めてしまいます

実は、山田裕貴さんは高校も愛知の強豪「東邦高校」に進学します。
当然、強豪校のため、野球を続けると思わましたが、野球を諦めてしまった経緯はどういったことがあったのでしょうか。

山田裕貴がプロ野球選手を諦めた理由とは?

山田裕貴、元プロ野球選手の父・和利氏は「本当に褒めない人だったので…」自身への“思い”に涙 - サンスポ

出典元:サンスポ

山田裕貴さんがプロ野球選手諦めてしまった理由には後に紹介する元プロ野球選手でもあった父・山田和利さんが関係していました。
山田裕貴さんは2021年、TBS系「人生最高のレストラン」に出演された際、プロ野球選手を目指していたことに対してこう答えています。

「プロ野球選手の息子って言われるのもプレッシャーで、僕が父を追いかけているのか、ちゃんと自分の人生を生きているのかわからなくて。何のために野球をやり始めたんだっけって悩み始めたら、全然頑張れなくなっちゃって」

引用元:サンスポ

あきおさんあきおさん

野球というのは根性論のような体育会系の色もまだまだ強く残っているスポーツです。
筆者も経験はありますが、強豪校になればなおさら「野球を楽しむ」という感覚が麻痺してきます。
いつしか「やらされている感」が出てきていることに気づいて、本来自分がどうして野球をやり始めたのかがわからなくなるときがあるものです。
父が元プロ野球選手であれば尚更プレッシャーもあったと思います。この山田裕貴さんのコメントにはとても共感しました。

しかし、そんな山田裕貴さんの父・山田和利さんも…

「俺は野球をやれとは言っていない。だけど、お前がやるって言ったことを何で最後まで続けなかったんだ」

引用元:サンスポ

山田裕貴さんの父・山田和利さんも自分がプロ野球選手だったからという理由があるだけに厳しい視点だったのでしょう。。
山田裕貴さんも幼い頃は「ただ楽しくてやっていた野球」から物心がつき、勝ち負けにこだわるスポーツの状況、そして、父がプロ野球選手というプレッシャーは負い目を感じていたのかもしれませんね。

山田裕貴の高校はプロ野球選手の父親の母校だが、野球を断念せざるおえない事情があった! - サタデー毎日

出典元:サタデー毎日

奇しくも、そんな山田裕貴さんが東邦高校の3年生のとき甲子園に出場します。

「中学時代に戦った仲間とかが甲子園で戦っているのを見るんですよ。俺、何やってたんだって思って…。自分が野球を続けてなかったことをものすごく後悔して、絶対お芝居ではできないぐらいのあり得ない量の涙が、試合開始前のサイレンが鳴る前に止まらなくて」

引用元:サンスポ

あきおさんあきおさん

これは聞いただけで泣けてきますね。。
小学から中学まで夢中でボールを追いかけていたはずだったのに、いざ目の前に現実が突きつけられるといても立ってもいられなくなるくらい後悔したのでしょう。

山田裕貴さんは中学で野球を辞めていますが、意外と中学で野球を辞める人は多いです。
それもそのはず、中学から高校にかけてはちょうど思春期の真っ最中。
野球が上手い子は器用な子も多く、不良や非行に走って人生を台無しにしているケースも多く見られるものです。

悪く捉えてしまうと、そこから人生の方向がずれてしまったとも言いかねないですが、山田裕貴さんの例のように「野球を辞めてしまった後悔」が後にバネとなり俳優を目指すきっかけとなる場合もあります。
そんな山田裕貴さんの父・山田和利さんはどんな人だったのか、お2人にまつわる感動エピソードも紹介していきますね!

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山田裕貴の父は元プロ野球選手の山田和利!

出典元:アスリートマガジン

前述した通り、山田裕貴さんの父は元プロ野球選手山田和利さんです。

山田和利プロフィール
  • 生年月日:1965年6月3日
  • 身長:173センチ
  • 体重:82キロ
  • プロ入り:1983年ドラフト4位
  • 選手歴:
    東邦高校
    中日ドラゴンズ(1984年~1990年)
    広島東洋カープ(1991年~1995年)
    中日ドラゴンズ(1995年)
  • コーチ歴
    中日ドラゴンズ(1997年~2004年)
    広島東洋カープ(2011年・2015年~2021年)

見ての通り、山田和利さんも山田裕貴さんと同じ「東邦高校」の出身でしたね。
これは親子揃って同じ出身校で野球をやるという夢もあったのかもしれませんね。
(※ちなみに山田裕貴さんは野球部に入らずバレー部に所属しています)

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出典元:Twitter

山田裕貴さんの父・山田和利さんは選手時代のとき、初ホームラン1988年、あの巨人の桑田真澄さんから打ったという経歴ももっています。
レギュラーとしては定着しなかったものの、中日ドラゴンズ時代には立浪和義さんの控えとしていつでも出場できる機会を狙っていたとのこと。

あきおさんあきおさん

控えとはいえ、あの有名な立浪和義の次なので、それだけでもスゴいことですよね。

山田裕貴の父(山田和利)はプロ野球コーチ!情熱大陸出演の妹と母の職業は?|はてなのミカタ

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山田和利さんは、足が早く、守備も上手い選手だったとのこと。どちらかというと小技タイプの選手でオールマイティにこなすどこでも活躍できるタイプだったそうです。

あきおさんあきおさん

相手チームにひとりいると嫌なタイプですね。

そんな山田和利さんですが、1996年のときに故障の影響で引退を余儀なくされたそうです。
引退してからコーチを頼まれ、それも選手時代に所属していた中日ドラゴンズと広島東洋カープの両方のチームに就任していたところを見ると、指導者側としての素質があったのだと思います。
コーチがしっかりしていないと監督もしっかり指導できないので、上層部や選手からも信頼は厚かったと思われます。

あきおさんあきおさん

引退してから、その人の評価がわかると言われますが、山田和利さんは、まさにその鏡のような存在かもしれませんね。
野球業界に詳しい人でも知らないことかもしれませんが、長く務めているということは人望が厚く、信頼されている証拠です。
プロ野球の業界では内野手のコーチと行ったら「山田和利さん」とまで言われる存在なのかもしれませんね。

山田裕貴と父・山田和利の感動エピソードとは?

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出典元:Twitter

山田裕貴さんがプロ野球を目指していた経緯と父・山田和利さんの経歴を見てきましたが、お2人とも野球に対する熱がスゴかったですね。

あきおさんあきおさん

筆者も何かに熱中することはありますが、一番難しいのは「継続する」ということ。
その点、山田裕貴さんも中学まで野球を続けてきたこと、父・山田和利さんに至っては選手からコーチまで野球一筋、尊敬の眼差しで見てしまいますね。

そんなお2人の感動エピソードがありますので紹介していきますね。

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出典元:Twitter

前述した通り、山田裕貴さんが東邦高校進学時に野球を辞めてしまい、その高校3年生のとき、同級生が甲子園に出場したときのこと。
実は、そのことがきっかけで今の俳優を目指すことになったそうです。その経緯とは…

「自分がやるって決めたことをやめた時って、ものすごく後悔するんだなと思って。だから、次挑戦するって決めたことは絶対死ぬまで続けようって思ったのが、この俳優のお仕事」

引用元:サンスポ

山田裕貴さんは野球を辞めてしまったことにとてつもなく後悔していたとのこと。
しかし、それをバネに「俳優の道」へ進むことを決断します。

D-BOYS山田裕貴の葛藤「イケメンよりカメレオン」 | ORICON NEWS

出典元:ORICON NEWS

さらに、山田裕貴さんが幼い頃、実際にテレビでプロ野球選手として活躍する父・山田和利さんを見てプロ野球選手を目指していました。

「かっこよかったんですよ、テレビで打席に立っている父を見てレビに出るってかっこいいなっていうのがあって」

と語っています。

あきおさんあきおさん

テレビで自分の父親が見れるなんて憧れますよね。

そして野球を辞めてしまった挫折の思いから…

俳優になることでテレビに出る回数で父を超えられる

とも思ったそうです。
父・山田和利さんへの恩返しと考えたのでしょうか。

父・山田和利さんからすれば息子の山田裕貴にはプロ野球選手を目指してほしかった思いがあったと思いますが、父を思っての俳優への道を選んだことは正直嬉しかったのではないでしょうか。

そんな父・山田和利さんも山田裕貴さんが俳優で活躍するようになって…

息子が俳優をしていることを自慢したり見聞きしたことはない

息子に余計な心配をかけたくないということだろう

と広島東洋カープ時代の元チームメイトの達川光男さんが証言しています。

山田裕貴さんと父・山田和利さんの愛が感じられるエピソードですよね。

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出典元:Twitter

さらに、2018年、山田裕貴さんは、かつて父・山田和利さんがつけてた背番号「30」番を付けて始球式に登場したことがあります。

「僕にとって野球というのは、この仕事を始めるきっかけでもありましたし、始球式は俳優の中でも1つの夢でした。あの頃、父の背中を追いかけていた自分を思い出して、この場所で始球式ができたことに貴重な意味を感じています」

引用元:映画ナタリー

父親心としては、感動モノではないでしょうか。
山田裕貴さんの父・山田和利さんはその姿を見てひっそりと泣いていたかもしれませんね。

さらに、山田裕貴さんは2016年に映画「青空エール」で野球に関係する映画に出演することになります。

中学で野球を辞めてしまった自分にとって 夢の続きを演じられることがすごく嬉しい。

やはり、よほど後悔している様子の山田裕貴さんですが、野球に関する演技が出来ることはまさに「夢」ですよね。
そんな山田裕貴さんを見て、父・山田和利さんはさらに喜んでいるのではないでしょうか。

山田裕貴はプロ野球選手を目指していた!父・山田和利とのエピソードまとめ

いかがでしたでしょうか?
山田裕貴さんが活躍している背景の原点には元プロ野球選手の父・山田和利さんの影響があったことがわかりました。
今の山田裕貴さんの演技力には野球で培った精神力なども深く関係しているのではないでしょうか。
また山田裕貴さんの父・山田和利さんの経歴も見ると、山田裕貴さんがしっかりした俳優さんに育っているということも頷けますよね。

まとめとして

  • 山田裕貴は中学までプロ野球選手を目指していた
  • 山田裕貴はプロ野球選手を挫折したのは父・山田和利のプレッシャー
  • 山田裕貴と元プロ野球選手の父・山田和利には感動するエピソードがある

ドラマや映画でも出演が増えている山田裕貴さん。
その背景には父・山田和利さんやプロ野球を目指した経緯が関係していたことも踏まえて見ると、より山田裕貴さんの魅力に入り込めるかもしれませんね。
これからも山田裕貴さんの活躍から目を離さず応援していきたいと思います。
また新しい情報が入りましたら追記していきますね!
最後までお読み頂きありがとうございました!

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