
コロナ禍になり、早数年。
学校では給食の黙食が続けられ、そろそろ見直しても良いのでは?早く元に戻して欲しい等との意見もあり、その反対に、まだ不安、心配などの声も聞かれます。
文科省から2022年の冬に黙食の見直しについて通知がありましたが、そのエビデンスについて賛否両論が分かれているようです。
そんな給食の黙食について本当に効果がある(あった)のか、様々な視点から書いてみました。
これは正しさをジャッジメントするものではなく、ひとつの意見として心が落ち着けばと思い書いたものです。
是非お読みください。
給食の黙食の効果にエビデンスは無い?
出典元:柏市立逆井小学校
子供の学校給食において、黙食が長く続けられていますよね。
コロナが2020年に始まり早4年にもなろうとしています。
学校の給食の黙食については、厚労省や文科省がエビデンスなどのガイドラインを出していましたが、果たしてその効果はある(あった)のでしょうか。

筆者も5歳の子供がいますが、園では基本的に黙食はしていないです。
後述しますが、これについては賛否両論分かれるところだと思いますので、意見の正しさの押し付けをするわけではないことをご承知ください。
ただ、双方の意見があると思いますので、それをまとめて心の落とし所が見つかればと思い書き記しておきます。
ネット上では黙食についてこんな意見もありました。
子供の黙食やマスクや予防接種を「かわいそう」って言う人
「チャイルドシートなんかかわいそう。お母さんがしっかりだっこしてればいいのよ」って言う人に似てるね。
チャイルドシート義務化した2008年からしばらくは
「子供を縛り付けるなんて」とか
「自動車会社の利権」とか騒がれましたね

たしかにそうですね。昔はチャイルドシートなんてなかったと今の50~60代の世代の人は言うのではないでしょうか。
車で普通に抱っこしていたと。
そう。当時は、「チャイルドシート」という常識がなかったため、安全性に関しても認知されておらず、否定的な意見が多かったと見られます。
それについては日本人の気質でもある「変化を嫌う」というところと「多数が正解」といった人間性が垣間見えていたのかもしれませんね。
出典元:レンティオ
一方で、この意見に対し反対意見もありました。
チャイルドシートはきちんとマスデータを取得し、致死率・死亡重症率ともに減少効果があることが証明されたから義務化されたんです
一方、子供の黙食やマスクは3年経っても未だにどれくらい効果があるのか全く明らかになってない
効果不明なルールにいつまでも縛られる訳にはいかないんですよ
例えば黙食について、データを比較したら効果無かった事が分かればそれは今後似たような脅威に襲われた時の参考になる。人類が経験した事の無い事にチャレンジするのだから「成功した失敗」があったっていい。

コロナが始まってから数年経ちますが、これもデータ、いわゆるエビデンスというもので判断する人が一定数いるのも確かなことですよね。
一概にデータだけで効果がなかったとも言えませんが、冷静に見て、対策をしていたときと対策をしてなかったときの判断基準が曖昧なため、難しいところではあるでしょう。
出典元:毎日新聞
ちなみに、2022年12月9日にTwitter上で福岡市の教育委員会より「黙食は辞めても問題ない」との判断があったそうです。
給食時間に黙食緩和を実施した状況を調査したものだそうで、
実際にそのエビデンスとして給食時間における会話の有無で判断したところ、
- 会話があったクラスの学級閉鎖率は3.4%
- 会話がなかったクラスの学級閉鎖率は4.3%
だったとし、「有意な差異は見られませんでした」との回答でした。
出典元:Twitter
このことにおいて福岡市の高島宗一郎市長は…
「誰が決めたからとか周りとずれてちゃいけないとか、判断基準がちょっとおかしくなっていると思う」
「大事なのは自分でリスクを判断して、それぞれの判断を尊重していくということ」
と発言もしており、黙食やマスクに関しての認識が変わってきたかのように見えますが、
そのコメント欄には…
- 結局現場が決めているので何も変わっていない
- 校長がコロナ脳だと変わらない
- 小・中、変わらず黙食
- 大声出す子がいるからという理由で継続
- なんのための通知かわからない
- 結局は現場の校長次第…
など、実際には現場で何も変わっていないとの批判的な意見も多かったです。

実際に現場に立つ人間の立場になれば、責任をとるのにも判断が難しいというところでしょう。
言い方は悪いかもしれませんが、「黙食」や「マスク」を指示しておけば、万が一のことがあっても責任は逃れる可能性が高いです。
これも日本人の気質のひとつと言えるでしょう。
正解や不正解はないのですが、納得のいく答えがほしいですよね。。
エビデンスもそのひとつかと思いますが、なかなかそれで判断するのも難しいとこではあるでしょう
給食の黙食見直しとは
出典元:デイリー新潮
2022年11月29日に文科省が黙食について見直しをしたと文科省が通知した内容が話題となりました。
その内容を簡潔にまとめると…
- 新型コロナ対策の基本的対処方針で「黙食」の記述がなくなった
- 給食の時の過ごし方について、適切な対策を行えば会話は可能
- 元々、必ず『黙食』することを求めてはいない
出典元:読売新聞
それまでは、新型コロナ対策の基本的対処方針で
「飲食はなるべく少人数で黙食を基本とする」
などと明記していましたが、それとともに、
「会話する際にはマスクの着用を徹底すること」
という一文も削除され変更となりました。
文科省から見直しの通知が各都道府県の教育委員会に届けられましたが、学校などの現場では、意見がわかれているようです。
みんなで話しながら食べていたので黙食してくださいと言われた時は戸惑いました。今は慣れましたが、話しながら食べるのは楽しみ
といった声も聞かれますが、一方で、
マスクをせず話をするのは感染したり感染させたりするかもしれないので少し不安
という生徒も少なからずいるのも確かなことです。

黙食においては、「机を向かい合わせにしない」「大声での会話を控える」といった最低限の感染対策によって感染を防ぐといった方向性ですが、子どもたちにとっても、実際に数年継続してきて違和感や我慢してきた部分があったと思います。
いよいよ「気にしないでご飯を食べれる!」といった普通のことが出来ることに喜んでいる子供の姿を見れると嬉しい反面、クラスターなどが発生したときの対処なども心配になりますよね。
たしかに新型コロナの子供の感染については、感染したとしても重症化する可能性はゼロではないことは確かです。10代で重症化した例もいくつか出ています。
そういった面からも、子供たちの笑顔のため、一番良い感染対策や黙食の有無は難しい判断となりそうですよね。
給食の黙食の見直し賛否
給食の黙食について、どちらかというと見直しをして、もう良いのではないかという意見が多い気がします。
ですが、もちろん、賛否両論があると思うので、専門家の意見も踏まえてまとめてみました。
「コロナ禍で子どもたちのメンタルヘルスが悪化しているというさまざまなデータが出ている。学校で子どもどうしが会話できる時間は給食や休み時間、登下校など意外と短いが、毎日の給食でいろんな子どもたちと話す時間が増えれば友人関係の改善も見込まれ、社会的・心理的な発達にもつながる。
大人たちもマスクを外せない状況のなか、いきなりグループに分かれて真正面でおしゃべりしながら給食するような状況にはならないと思う。まずは黒板の方を向いたままおしゃべりすることを認めるなど、徐々に元のスタイルに戻していくべきではないか」

こちらの意見、個人的にはとても理解出来ます。「徐々に」というところが良いと感じます。
どちらの意見も否定せず、いきなりなくなるというのは怖いし勇気がいることですしね。
その上、子どもたちのコミュニケーションも大切にするといったことも将来的に大きく影響すると書かれています。
この意見には筆者も賛成です。
ただ、この「徐々に」というところの判断をどうしていくかが課題となりそうですね。
大人にとっての3年間より、子供にとっての3年間の方が、ずっと長い期間でしょう。一度身に着いた習慣を変えさせるのは、またエネルギーが必要です。
新型コロナに限らず、子供が集まれば感染症のリスクは高まります。感染症の広がりを防ぐのは大切です。同時に、コロナ前にはそう教育していたように、みんなで楽しく食事ができることも、大切な食育です。
トータルバランスが必要でしょう。子供、学校、教育委員会、地域社会、互いの協力の中で、心身ともに健康な子供を育てていきたいと思います。

子供の集団行動は感染のリスクが高まるのは当然ですが、感染してはいけないとうことが強く印象づけられているのでは?と筆者は疑問に思います。
たしかにリスクはありますが、感染を100%防ぐというのは不可能に近いです。その中でどう生活していくかがカギとなると思います。
よく、笑顔だけでも免疫力は上がると言われていますよね。身体の免疫細胞が元気になるとか。
碓井教授が書いているように、トータルバランスとして偏りすぎない判断が大切だと感じます。
「子どもは日本の宝」「子は鎹(かすがい)」と言われるように、みな子供を育てる人たちは必死で育てていますよね。
だからこそ、万が一のことが起こってほしくないし、だからといって制限もかけたくない。みなさんはそんな気持ちでいるのではないでしょうか。
出典元:東京新聞
一方で、黙食についてこのような意見も見られました。
黙食が批判されてるけど「黙食がいい」ってぽそっと呟いてくれる子がちらほらいます。決められた班で向かい合って食べるのが苦しい子たち。そういう子は以前から潜在的にいたはず。私自身もそうだったから。それが「食事は向かい合って楽しく食べるのがよい」という大人のジャッジで黙殺されてきた
コロナでは「向き合わず黙って食べるのが正しい」という逆のジャッジに振れた。それがまた逆に振り戻されようとしてる。いずれにせよ、子どもの声は聴かれてない
いじめや嫌がらせを受けてる
集団がしんどい
人の目がつらいetc.
そういう子たちは決して「少数派」ではないよ。ただ声が届かないだけで
「好きな人と食べてください。ひとりでもいいです」だとそれはそれだ歪みが出るから(私もそうだった。班の給食も辛いしたまにあった「好きな人と自由に」も辛かった。どこにも入れないのが辛かったし、ひとりがいいのに「ひとりは惨め」な空気の中で可哀想な子扱いされるの辛かった)
一定のルールは必要。でもそれは「黙食は良くない」という大人のジャッジによってのみ決められてはならないと思う。
マスクも同じ。黙ってひとりで食べる方がいい、マスクしてると安心する。コロナ禍でそれまで正しい・良いとされてきた世の中軸が逆に振れて、そういった子たちにとって
「前よりマシ」になった。もちろんマスク苦しい黙食つらいって子もいる。ポストコロナにおける一定のルールは必要でも、どうか「黙食は良くない・正しくない」という一方的なジャッジでルール設定しないでほしい。それは「班になって向き合っておしゃべりつらい」子たちの存在をまた見えなくしてしまう
「是非を論じる」のではなく、子どもたちの声を聴きながら子どもたちの見ているものを見ながら、それぞれの場所や時間軸での最善を一緒に見つけていってほしい。そして揺れ幅を許容してほしい。是が非かの問いではないはずだから。

これはTwitter上であがっていたものですが、筆者個人的にはとても共感しました。
集団のルールを守るのが学校と言われていますが、大人になった今、ひとりで静かに食事をしたいときは多々あります。
もちろんその逆で複数人での飲み会は楽しいと思えることもあります。
この方が書いているのは、「大人の匙加減でジャッジメントするのはよくない」と言ってるのでしょう。
少し話が逸れたかもしれませんが、黙食になったことで安心したという子どもたちも少なからずいるということですよね。
そういった配慮もなしに、「黙食はやめよう」と言われても、特にそういった当事者の子供は自己主張が苦手だったりするので、内心的に落ち込んでしまったりすると思われます。
ここではジャッジメントしないあり方という意見を深く考えさせられました。
ここで筆者の意見も少し書いておきますので参考に読んで頂けたらと思います。
ひとつ、先程の黙食によってメリットがあったという子供の話から。
アーティストのブルーハーツの甲本ヒロトさんという方をご存知でしょうか。
パンクロックで有名なバンドのボーカリストです。
出典元:中日新聞WEB
その方の言葉を記しておきます。
ヒロト「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。友達なんていなくて当たり前なんだから。友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」
「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。」
「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」
こんなことを発言しています。
学校=ルールを守って仲良くするところ
ではないという考え方ですね。
その上で、
学校=ルールを守って価値観の違う人たちと関わる練習
とメッセージ性がある言葉で伝えてくれていますね。
これはこの黙食禍においても大切な考え方だと感じました。

特に自分の意見を言いにくくなっている昨今の教育方針にも疑問を唱える声も多いですが、ひとりでも救ってくれるような言葉があると嬉しいですよね。
ちなみに筆者は甲本ヒロトさんの言葉に何度も助けられてきました。素晴らしい名言を残されているので気なる方は検索してみてくださいね。
出典元:十勝毎日新聞
この黙食についてひとつの考え方として参考にしてほしいものがあります。
よくビジネス用語で使われるのですが「2:6:2の法則」というものです。
生きているとわかるように自分と価値観の違う人はたくさんいます。
その中でも、
- 自分と同じような価値観の人が「2割」
- 全く正反対の価値観の人が「2割」
- そのどちらでもない人が「6割」
そんな割合で世の中と自分とのバランスは成り立っているそうです。
もう少しわかりやすく書くと、職場などで
- 仕事がめちゃくちゃ出来る人「2割」
- 仕事が全然出来ない人「2割」
- 仕事がそこそこ出来る人「6割」
といった感じです。これを読んでいる人の職場でも、近いバランスではないでしょうか。

つまり何が言いたいのかというと、そもそも人は価値観が違うので意見が分かれて当然であって、それを押し付けることはナンセンスだということ。
ここでは、黙食について一番の落とし所を見つけることが優先されるので、データや現場の意見、子どもたちの本音を引き出すなどして、納得する割合が一番多いところに終着点を置くことが大切なのではないかと思いました。
正しさの押し付けは、結局反対意見を生んで、反発が強くなるばかりです。
そのような一番の落とし所を見つけるためにこの「2:6:2の法則」を頭に入れておいても損はないのではないでしょうか。
これをお読みになった方の心が少しでも楽になれば幸いです。
給食の黙食は効果にエビデンスは無し?賛否両論まとめ
いかがでしたでしょうか?
コロナが始まり数年たち、マスクを含め黙食の状況も緩和傾向にありますが、不安や心配といった声も少なくないのは確かですよね。
何しろ、政府の判断も大事ですが、現場の意見も含めエビデンスもとても大事だと思います。
筆者も子供をもつ一親として、後悔しない選択や関わり方をしていきたいと思います。
黙食の効果について、賛否両論はありましたが、また進展がありましたら追記をしていきたいと思います。
最後まで長い文章お読み頂きありがとうございました。