入来智【衝撃】交通事故死!妻の思いが泣けてくる|宮崎都城市

元プロ野球投手の入来智さんが、地元の宮崎県都城市で交通事故で亡くなったニュースが入ってきました。

入来智さんと言えば、弟の入来祐作さんと兄弟でプロ野球選手という華々しい経歴の持ち主でした。

引退後は、地元の宮崎県都城市で仕事をしていたようですが、その壮絶な人生と妻の思いに心が痛む内容がありました。

入来智さんはまだ55歳と若すぎる別れに心が痛みますが、少しでもその心が癒やされるように妻・聡子さんとのエピソードを紹介していきたいと思います。

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入来智が交通事故死

2023年2月11日、元プロ野球選手の入来智さんが亡くなったニュースが入ってきました。

プロ野球読売ジャイアンツやヤクルトスワローズなどで投手として活躍した都城市出身の入来智さんが10日夜 都城市内で交通事故で亡くなりました。55歳でした。

引用元:Yahoo!ニュース

 

衝撃のニュースの驚きが隠せません。

 

筆者も、元々野球は好きで、プロ野球はよく見ていましたが、入来と言えば「入来兄弟」が有名で、弟の入来祐作さんと一緒に活躍していたのを覚えています。

入来兄弟は2人ともピッチャーで、ピンチのところではしっかり抑えるイメージがあり、優勝時には影の立役者とまで言われていました。

 

そんな入来さんがまだ若くして亡くなったのも衝撃です。。

入来智の壮絶な人生

 

入来智さんの現在は介護福祉士だったそうです。

元プロ野球選手と言えども、やはり引退してからは厳しい生活を送っていたようです。

 

入来智さんのプロ野球の経歴としては…

  • 近鉄バファローズ (1990 – 1996)
  • 広島東洋カープ (1996)
  • 近鉄バファローズ (1997 – 1998)
  • 読売ジャイアンツ (1999 – 2000)
  • ヤクルトスワローズ (2001 – 2002)

 

特に2001年には自己最多の10勝を挙げ、弟の入来祐作さんと兄弟で史上初のオールスターに選出され、しかも兄弟継投を史上初行ったことでも話題になりました。

さらにこの年には日本シリーズでも活躍を見せ、陰ながら優勝に貢献した投手として注目も浴びていました。

 

日本のプロ野球を離れてからも、野球に対する情熱は強く、韓国や台湾に渡り、野球を続けています。

  • 韓国プロ野球・斗山ベアーズ (2003)
  • 台湾プロ野球・La Newベアーズ (2004)

 

2004年に引退後は妻の兄が経営する仕出し・手作り弁当屋「かかし亭」に勤務していたと見られます。

 

 

そんな入来智さんの壮絶な人生には、転職を繰り返し、それを支えた妻・聡子さんの思いがありました。

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入来智の妻・聡子さんの思い

実は、入来智さんは、2004年に台湾のCPBL・La Newベアーズを引退してから、10回以上の転職を繰り返していた言います。

 

プロ野球選手だからと言って、入来智さんほどの実力がある選手でも、その後の人生が安定しているとは言えません。

プロ野球選手だったからこそ、野球しかやってこなかったことで第二の人生に苦しむ人も少なくないと言います。

 

この入来智さんの壮絶な人生には妻・聡子さんの支えがあったそうです。

 

 

2015年5月20日に放送されたTBS「壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち」で、入来智さんを献身的に支える妻・聡子さんの様子が放送されていました。

 

実は、入来智さんはプロ入り後、他の女性と結婚したそうですが、15年間に渡るプロ生活を終えた後、聡子さんと再会し結婚することになりました。

そんな結婚当初の入来智さんと妻・聡子さんですが、入来智さんの離婚による慰謝料などでプロ野球生活時代の貯金は底をつきコンビニのアルバイトや酒造メーカーで短期雇用の仕事などをし、日銭を稼ぐ暮らしだったようです。

 

プロ野球選手がそんな風になるなんて意外ですよね。。
何かひとつに夢中になってきたことで燃え尽き症候群や、自分に何が出来るかがわからない状況になっていたのかもしれませんね。

 

そんな中、入来智さんは、妻・聡子さんと結婚後に、聡子さんの兄が家業を継いで経営していた仕出し弁当屋「かかし亭」の仕事に就くことになります。

 

しかし、その弁当屋でも

から揚げの揚げ方など弁当作りで細かく注意されることが耐え切れなかった

と2年後にお店を飛び出してしまったそうです。

 

 

「自分の中で野球やってたプライドも多少あるんですよ、やっぱり。心の調整ができなかったです」

 

と入来智さんは語っていて、これもプロ野球選手として歩んできた道が、悪い意味で邪魔をしてしまったのかもしれません。

 

「プロ野球選手だった」という肩書がとても引っ掛かる人は多いのでしょう。プライドもありますし、自分でプロ野球選手になったと自負がある人がほとんどですので、一般の会社に勤める上下関係などは苦痛で仕方なかったのかもしれませんね。
聞いてるだけですごく心が痛みます。。

 

その後は、仕事もしなくなった入来智さんですが、妻・聡子さんが

「美容室を辞めた方がお互いに2人で頑張っていけるのかなって思って思い切って辞めました」

と入来智さんを奮起させるために行動に移すものの、その後に勤めた住宅メーカーの営業職でも1年で退職してしまったようです。

 

そんな入来智さんに妻・聡子さんは、

「あの人は私がいない方が、ひとりで頑張れるのかもしれない」

という結論にまで至ったそうで、離婚話を切り出すも頑なに拒否をされたそうです。

 

 

入来智さんは…

「野球しかしてこなかったから…。野球以外に何していいかわからない」

と語っていて、本当に苦労してきたのだと思います。

 

そんな姿を見てきて献身的に支えてきた妻・聡子さんのことを考えると、夫の入来智さんとの急なお別れに胸が痛みます。

入来智の交通事故死に世間の声

突然の入来智さんの訃報に世間の声も悲しみの声が多く聞こえました。

 

入来智交通事故死に悲しみの声
  • 引退後支えられた奥さんが気の毒です。また若いし、やっと生活も軌道にのられたところだったのでは。
  • 第二の人生を頑張っていたでしょうに、残念ですね。
  • 野球界ではなく、一般企業のしかも介護職に就いていたの知りませんでした。
  • 地元都城に帰って、地味ではあるけど介護の仕事に就いて頑張るなんて、なかなか容易なことじゃないように思う。
  • 引退後は宮崎に戻ったり家族の飲食業などされ、介護士として近年まで社会に貢献された最後まで形に填まらない生き方をされた方で非常に残念でなりません。
  • 兄弟プロ野球に送り出し、親としては鼻が高かっただろう。成功を勝ち取った人が、こんな事故で亡くなるのはきつい。
  • たくさんの人が思いを馳せる惜しい人です。
  • 入来投手の事は地元の人は誰もが知っていて、そんな人が地元に帰って介護の仕事に従事され、介護して貰った人達は嬉しかったはず。悲しんでいる方が多いのではないでしょうか。

入来智さんの死去に寂しいという声が多いですね。

特に都城市の地元民からすれば、帰ってきてから頑張っている姿を見ていたと思うので、なお胸が詰まる思いですよね。。

入来智が交通事故死!妻の思いが泣けるまとめ

筆者個人的にもとても悲しい気持ちになりました。

入来智さんはまだ55歳ということもあり、若すぎます。

第二の人生と頑張っていた姿、それを支えてきた妻・聡子さんの気持ちを考えるととても居た堪れない感情になります。

交通事故という突然の別れというのはいつ来るかわかりません。

入来智さんと妻・聡子さんが歩んできた人生が、幸せであったことを願うばかりです。。

入来智さんの妻・聡子さんの気持ちも踏まえつつご冥福をお祈りしたいと思います。

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