
マイク・ピアザという名前を聞くとすぐ「野茂英雄」という名前が連想される人も多いのではないでしょうか。
2023年3月に始まったWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のイタリア代表としてマイク・ピアザ監督が就任しています。
1990年代にメジャーリーグで活躍したマイク・ピアザ監督や野茂英雄さんですが、そのときの懐かしい動画や画像が残っています。
2人がロサンゼルス・ドジャースに在籍していた際のバッテリー時代を動画と画像で紹介していきたいと思います!
目次
マイク・ピアザ監督と野茂英雄のバッテリー時代
マイク・ピアザ監督は現在、イタリア代表の監督を務めています。
マイク・ピアザ監督の曾祖父がイタリアのシチリア出身だったことから、ピアザ監督もイタリア系アメリカ人として、イタリア代表の監督に就いた経緯があるそうです。
そんなマイク・ピアザ監督ですが、1988年になんとドラフト62巡目(1433人指名中1,389番目)に指名され入団しています。
マイク・ピアザ監督は選手時代は捕手ですが、元々は一番嫌いなポジションだったとのことで意外な一面もありますが、その後、当時のドジャースのラソーダ監督に見込まれ、その活躍の場を広げていくこととなります。
その後は、ドジャースの正捕手として定着したピアザ監督は、デビューした年にMLBオールスターゲームに出場し新人王を獲得するなど、その成績は目を見張るものとなっていきました。
特に打撃面での活躍は、他球団から恐れられていて、
「MLB史上最も攻撃力に溢れた捕手」
と称賛されています。
一方、野茂英雄さんは、日本でも活躍し、有名な「トルネード投法」を引っ提げて1995年にロサンゼルス・ドジャースと契約することになります。
そんなマイク・ピアザ監督と野茂英雄さんがバッテリーを組むことになるのですが、当時、日本からのメジャーリーグ挑戦は難しいと言われていた時代にとても注目を浴びていました。
マイク・ピアザ監督は野茂英雄さんとバッテリーを組むことで注目され、日本でも、CM動画に起用されるなど、知らない人はいないくらいの存在になりました。
ピアザ監督が現役時代のときは、新庄剛志さんがニューヨーク・メッツへ入団する際や、再び野茂英雄さんが、メッツへ移籍する際など、常に一緒にいるイメージで紹介されていましたね。
マイク・ピアザ監督と野茂英雄の【動画】
マイク・ピアザ監督の選手時代、野茂英雄さんとバッテリー組んでいた貴重な動画が残っていますので紹介していきますね!
野茂英雄メジャーデビュー戦【動画】(1995年)
当時、野茂英雄さんを知るメジャーリーガーはほとんどいなかったと思いますが、実際にそのフォークボールは「2階から落とされている」と称されるほどの落差で、キャッチャーの捕球も難しいと言われていました。
そんな中、マイク・ピアザ監督は、大きい身体とその柔らかいキャッチングから安定した捕球を見せ、パスボールなどがほとんどなく、野茂英雄さんの試合運びに一役買ったとも言われています。
マイク・ピアザ監督と野茂英雄さんはバッテリーとして「恋女房役」にはピッタリだったと言います。
野茂英雄ノーヒットノーラン【動画】(1996年)
野茂英雄さんが、メジャーデビュー2年目の1996年9月17日。
高地で空気が薄いためスタミナの消耗が早く、球場が広くない上にボールも飛びやすい「打者天国」として知られるクアーズ・フィールドでのノーヒットノーランの動画が残っていました。
当時のキャッチャーももちろんマイク・ピアザ監督です。
当時は、野茂英雄さんに称賛の声があてられましたが、マイク・ピアザ監督にも…
- 野茂のフォークを体で止める所は滅茶苦茶格好良かったな~
- 野茂に「絶対に後ろにそらさないからどんどんフォーク投げろ」と言った神キャッチャー
- 近代野球のキャッチャーに必要な要素を全て兼ね備えたプレイヤーだと思います。
- 野茂以外で初めて名前を覚えたメジャーリーガーだった
- もう野茂の女房役適任!他の人は考えられなかった。
など、ピアザ監督にも注目の目があたっていました。
野茂英雄の17奪三振【動画】(1996年)
他にも野茂英雄さんが、メジャーで17奪三振を獲った試合もあります。
27個のアウトのうち約6割が三振でのアウトということになります。
三振の数に目が行きますが、マイク・ピアザ監督が、相手チームの三塁への盗塁を防ぐ場面などもあり、攻守がなければ、その流れも出来ずに達成されなかったのではないでしょうか。
ピアザ監督と野茂英雄のメッツ移籍後【動画】(1998年)
マイク・ピアザ監督と野茂英雄さんがドジャースからニューヨーク・メッツへ移籍したときのバッテリーを組んでいる貴重な動画もありました。
このときのメッツの監督は、日本のプロ野球でもロッテで采配を振るったことのあるボビー・バレンタイン監督です。
そのバレンタイン監督の計らいか、日本人選手を推奨していたためか、野茂英雄さんとピアザ監督の相性が良いと知っていてか、移籍に関してはスムーズにいったようです。
ピアザ監督が移籍になったから野茂英雄さんも呼ばれたような感じですね。
ピアザ監督と野茂英雄の初対決【動画】(1999年)
マイク・ピアザ監督が選手時代、ニューヨーク・メッツへ移籍した1999年、そして野茂英雄さんもミルウォーキー・ブルワーズに移籍したときに対決した貴重な動画が残っていました。
ドジャース時代に約4年間バッテリーを組んでいたピアザ監督と野茂英雄さん。
その手の内を知り合った2人の対決に注目が集まりました。
その対戦の第1打席はショートのエラーによってマイク・ピアザ監督が進塁していますが、勝負では野茂英雄さんが勝ち、結果ではピアザ監督が勝ったというところでしょうか。
第2打席の勝負ではライトフライで野茂英雄さんに軍配が挙がっています。
そして、第3打席…、マイク・ピアザ監督は野茂英雄さんのフォークを捉えレフトスタンドにホームランを放っています。
ただでは終わらないマイク・ピアザ監督。
これは名勝負として語り継がれますね。
マイク・ピアザ監督と野茂英雄の【画像】
マイク・ピアザ監督と野茂英雄さんの当時の画像を見ていきたいと思います。
覚えている人も多いと思いますが、ドジャース時代のユニフォームが懐かしいですね。
このドジャースの青い帽子や人形(ボブルヘッド↓↓)が流行った記憶があります!
- 野茂さんの相棒として有名だったけど、キャッチャーとして強打者で有名だった
- 史上初のドラフト最下位指名からの殿堂入り
- 野茂だけでなく新庄ともチームメイトだった事のある選手でした
- 懐かしい。マイク・ピアザは野茂投手の女房役であり強打の捕手でした
- 1996年の野茂の最初のノーヒットノーランコンビ。この2人は最高だった。
マイク・ピアザ監督番外編【動画】
マイク・ピアザ監督を調べていると懐かしい動画がありました。
当時、日本でも野茂英雄さんの活躍のためか、同じくらい注目を浴び、名前が知られていたピアザ監督。
そんなピアザ監督が日本のCMに出演されていました。それがこちら↓↓
マイク・ピアザKOMATSU(コマツ)CM動画
- 「ジャストミートはコマツとピアザの約束です」
- 「そのアグレッシブなプレーがチームに勇気を与える、ピアザになれるか」
- 「コマツは今ジャストミート」
これは名言ですね。
- 歴史を感じる
- 懐かしいなあ
- こういうcm良いな
- このcmは、日曜夕方の独占スポーツで流れていましたね
当時を覚えている人から懐かしいとの声が多いですね。
マイク・ピアザ監督と野茂英雄【動画・画像】まとめ
いかがでしたでしょうか?
筆者も個人的に、ちょうどマイク・ピアザ監督や野茂英雄さんがメジャーに渡ったときを見ていた世代なので、とても懐かしく感じました。
今はこうして、動画や画像として歴史に残ってくれているのでありがたいですね。
現在、マイク・ピアザ監督はイタリア代表を率いていますので、今後のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)も楽しみに見ていきたいと思います!
またピアザ監督や野茂英雄さんについての情報が入りましたら追記していきますね。
最後までお読み頂きありがとうございました!